草枕 冒頭

山路を登りながら、こう考えた。

智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。

住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。

人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣りにちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。

越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容て、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降る。あらゆる芸術の士は人の世を長閑にし、人の心を豊かにするが故に尊とい


小説とは最初で読者のハートをぐっと掴むものだと思います。
掴むことができるから小説家として名を成すのでしょうね。
10年前、バンコクの古本屋で30円で購入してじっとりと蒸し暑い中、この一文を読んでくらっときたことを昨日の事のように、今日思い出しました。

twitter bot

phaさんが作られたプログラミングができなくても作れるTwitter botの作り方を参考に僕もbotを作ってみました。

Nietzsche_Words ニーチェの名言を集めてみました。

Mishima_Words 三島由紀夫の名言を集めてみました。

とりあえずまだなさそうな所を狙って作りましたが三島由紀夫に関してはすでに存在していました。
botってすごく面白いです。
何が面白いって自動的に、定期的に書き込みをしてくれるところです。
まだ漠然としていますがこの自動ってゆうところにとても興味があるのでなんとなく本をめくりながら勉強中です。
また作ったら報告します!

3つの条件

tapestry::reikonさんのブログを読んでなるほどとゆう気持ちとやっぱりそうかとゆう気持ちになった。

第二次大戦の勝利者である連合軍は、あの過酷なアウシュビッツの環境で最後まで生を維持させた人間の特性に興味を抱き調査団を組織した。その報告が正確であるならば、生命の維持力と身体的な強靭さの間には何の関係も見出せなかった。そして生命を最後まで維持させた人々の特性は次の3種類に分類された。第1 の分類には、過酷な環境にあっても「愛」を実践した人々が属した。アウシュビッツの全員が飢えに苦しんでいる環境で、自分の乏しい食料を病人のために与えることを躊躇しないような人類愛に生きた人々が最後まで生存した。第2の分類には、絶望的な環境にあっても「美」を意識できた人々が属した。鉄格子の窓から見る若葉の芽生えや、軒を伝わる雨だれや、落葉の動きなどを美しいと感じる心を残していた人々が最後まで生存した。第3の分類には「夢」を捨てない人々が属した。戦争が終結したならばベルリンの目抜き通りにベーカリーを再開してドイツで一番に旨いパンを売ってやろう、この収容所を出られたならばカーネギーホールの舞台でショパンを演奏して観客の拍手を浴びたい、などの夢を抱くことができた人々が最後まで生存した。

                          アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所


愛と美と夢。
ビジネスにしても芸術にしても根幹はここにある。
                             

ブッダの言葉 蛇の章 犀の角の如く

確か、地球の歩き方のインドの最初のページにこの一節の一部分が書かれていた。
うる覚えだけど暑そうな風景に修行僧と牛が歩いている写真だったような、、、。間違ってたらごめんなさい。
その写真に一節が書かれていた。
当時、インドのある町で次どこ行こうかなあとパラパラと地球の歩き方をめくっていたらこの一節が飛び込んで来た。
なぜこのガイドブックになぜ最初のページに!?
あんなラフなガイド本なのに、、、。ノーガードだったので喰らいました、この一節。






あらゆる生き物に、暴力を加えず、
いかなる生き物にも、苦悩を与えず、
子女を求めることなく、朋友を求めず、
修行者たるもの、犀の角の如く独り歩め。

交わりをなせば、愛情が生まれる。
愛情が生まれれば、苦悩が生まれる。
愛情から、苦悩が生まれるのを、見て、
修行者たるもの、犀の角の如く独り歩め。

朋友や親友などと、時間を共にし、
心が絆されると、己の利が損われる。
親交から、浪費が生まれるのを、見て、
修行者たるもの、犀の角の如く独り歩め。

妻子への愛著は、竹林が茂るが如し。
竹の子が、他に絡むことがないように、
修行者たるもの、犀の角の如く独り歩め。

鹿が食を求め、欲する処に赴くよう、
聡明な人は、自立自由を目指している。
修行者たるもの、犀の角の如く独り歩め。

仲間と共にいれば、常に呼ばれる。
休む時も、行く時も、旅をする時も。
他人に従属しない、自立自由を目指し、
修行者たるもの、犀の角の如く独り歩め。

仲間の中には、遊戯と歓楽がある。
また、子に対する愛情は甚大である。
愛しきものと、別れることを厭いつつ、
修行者たるもの、犀の角の如く独り歩め。

害心と恐怖を捨て、何処にでも赴き、
得た恩恵に足りて、得た苦難に堪える。
修行者たるもの、犀の角の如く独り歩め。

出家しても、不満を抱くものがいる。
在家にいても、不満を抱くものがいる。
修行者たるもの、犀の角の如く独り歩め。

葉の落ちた樹の如く、在家の印を捨て、
在家の柵を断ち、犀の角の如く独り歩め。

法友を得たなら、危難に悉く打ち勝ち、
心から喜び、落ち着いて、彼と共に歩め。

法友を得ないなら、戦争に勝った王が、
征服した国を捨てる如く、ただ独り歩め。

法友を得る幸せを、褒め称える。
己より優れた者、また、等しい者。
彼らとは、親しみ近づくべきである。
法友が居なければ、罪科なき行を修め、
修行者たるもの、犀の角の如く独り歩め。

見事に輝ける、二つの黄金の腕輪を、
片腕に嵌めるなら、ぶつかるのを見て、
修行者たるもの、犀の角の如く独り歩め。

二人で居れば、饒舌と口論が起こる。
必ず未来に、このようになるのを見て、
修行者たるもの、犀の角の如く独り歩め。

欲望は甘美であるが、心を撹乱する。
欲望の喜びの裏に、撹乱の憂いを見て、
修行者たるもの、犀の角の如く独り歩め。

欲望は、災害であり、禍患であると、
欲望の喜びの裏に、恐怖の憂いを見て、
修行者たるもの、犀の角の如く独り歩め。

寒と暑、飢と渇、風と熱、虻と蛇と、
これらすべて、ことごとく打ち勝って、
修行者たるもの、犀の角の如く独り歩め。

蓮華のように、見事な肩をした象は、
群れを離れ、欲するままに森林を歩く。
修行者たるもの、犀の角の如く独り歩め。

群れる者が、解脱に至る道理はない。
太陽の末裔、ゴータマの言葉を聞いて、
修行者たるもの、犀の角の如く独り歩め。

矛盾する観念を超え、悟る者は言う。
「智慧を得た、誰にも教わる要がない」
修行者たるもの、犀の角の如く独り歩め。

貪ることがなく、偽ることがなく、
渇望することなく、偽ることもなく、
迷妄を除いて、妄執のないものとなり、
修行者たるもの、犀の角の如く独り歩め。

不義なる者を見て、悪い友を避けよ。
貪欲に耽り怠る者と、進んで親しむな。
修行者たるもの、犀の角の如く独り歩め。

真理を弁える、聡明な法友と交われ。
有益な事柄を学び、疑念を拭い去って、
修行者たるもの、犀の角の如く独り歩め。

遊戯や娯楽や快楽に、喜びを感じず、
心惹かれず、着飾らず、真実のみ語り、
修行者たるもの、犀の角の如く独り歩め。

妻子、父母、財宝、穀物も、親族も、
そのほか、あらゆる欲望を捨て去って、
修行者たるもの、犀の角の如く独り歩め。

「これは、執着であり、魚を釣る針。
ここは、楽しみが寡く、苦しみが多い」
修行者たるもの、犀の角の如く独り歩め。

水の中の魚が、網を破り出るよう、
既に焼けた処に、火が戻らないよう、
諸々の煩悩の結び目を、悉く破り去り、
修行者たるもの、犀の角の如く独り歩め。

常に下を向き、うろつくことなく、
諸感官を塞いで、煩悩から心を護り、
流されることなく、焼かれることなく、
修行者たるもの、犀の角の如く独り歩め。

葉の散る樹の如く、在家の印を除き、
出家を果たし、袈裟の衣を身に付ける。
修行者たるもの、犀の角の如く独り歩め。

味を貪ることなく、選り好みをせず、
戸ごとに食を乞い、家々に囚われない。
修行者たるもの、犀の角の如く独り歩め。

五蓋を断ち切り、随煩悩を取り除き、
誰にも頼ることなく、愛情を乗り越え、
修行者たるもの、犀の角の如く独り歩め。

以前に味わった、味著と禍患を捨て、
喜びと憂いを捨て、寂静と平安を得る。
修行者たるもの、犀の角の如く独り歩め。

最高の目的を果す為、慇懃精進し、
心が怯む事なく、行を怠る事もなく、
堅固な活動をなし、体力と智力を備え、
修行者たるもの、犀の角の如く独り歩め。

独坐と禅定を、打ち捨てる事なく、
諸々の事柄について、理法に従がい、
諸々の生存には、憂いがあると知って、
修行者たるもの、犀の角の如く独り歩め。

妄執の消滅を求め、怠惰にならず、
明敏に、学ぶこと深く、心を止める。
理法を明らかに悟り、自制し努力する。
修行者たるもの、犀の角の如く独り歩め。

音や声に驚かない、獅子のように、
網に捕まることがない、風のように、
水に汚されることのない、蓮のように、
修行者たるもの、犀の角の如く独り歩め。

歯牙が強く、獣の王である獅子が、
他の獣を制圧して、振る舞うように、
他の人から離れた処の、坐臥に親しめ。
修行者たるもの、犀の角の如く独り歩め。

慈愛と悲哀と平静と解脱と歓喜とを、
時に応じて修め、世間に叛くことなく、
修行者たるもの、犀の角の如く独り歩め。

貪欲と瞋恚と愚癡の、三毒を捨てて、
結び目を破り、命を失うのを恐れない。
修行者たるもの、犀の角の如く独り歩め。

今の人々は、自分の利益のため、
交わりを結び、或は、人に仕える。
今日、利益を求めない友は得がたい。
己の利益のみ求めるものは、汚らしい。
修行者たるもの、犀の角の如く独り歩め。




今また読み返してみるとなぜだか先日書いたGoogleの理念と共通する何かを感じる。
どんな時代でも変わらないものは変わらないのだろうか?
そして、それは簡単そうに見えてそれを実行出来る人はほんの一握りの人だけだろう。